江戸時代初期から幕末まで一貫して戸沢氏の居城で本丸と二の丸の一部が残っている。 現在は最上公園とされていて、戸澤神社の碑のある大手から水堀を越えて入ると右側に枡形虎口の櫓門跡と思われる立派な石垣が残っていて、一番の見どころでしょうか。 また、本丸内の神社前が駐車スペースになってますが、高さのある本丸土塁に囲われてます。 この土塁も見どころですね。(時間の関係で土塁に登れず残念) 水堀も広めに残って...
この新庄城址は新庄駅西口から北西に約20分程度の場所にあります。今は最上公園として整備されています。本丸と二之丸が公園のエリアです。堀と石垣が残っています。また庭園が整備されて当時の姿を見せています。
奥羽本線新庄駅から駅前大通りを真っ直ぐ西に行きます。約1㎞です。新庄城は新庄藩祖戸沢政盛が寛永2年(1625年)に築城、以後250年間にわたり戸沢氏の居城で、本丸堀と土塁に囲まれ3層の天守閣、3隅に隅櫓があった平城だったそうです。明治戊辰戦争のとき市街地とともに焼失、現在は当時の堀や石垣が残っています。城址は最上公園となっており、その一部に戸沢神社等で、公園の各所には城址の説明柱がありました。堀に...
新庄城は、新庄藩6万石、戸沢氏の居城。戸沢氏は、最上氏改易後にこの地に入封。山城であった真室城が不便であることから、この平城を築城しました。 後年、戊辰戦争でそのほとんどを焼失。今は、お堀と石垣で当時を偲ぶしかありません。
新庄城は、新庄藩祖戸沢政盛が1620年頃に築いて、江戸時代ずうっと居城としていたお城です。今では、お堀と池垣、本丸の櫓門跡、一部の土塁だけが当時を偲ばせるものとなっています。そこに行くには、新庄駅から西にむかい、途中、こぶとり爺さまとおりを通って行きます。約1キロほどの距離です。今は、最上公園として整備されており、あじさい園や庭園もあります。お堀は珍しく自由に釣りをすることができるようで、行った時...
戸沢氏11代の城跡
江戸時代初期から幕末まで一貫して戸沢氏の居城で本丸と二の丸の一部が残っている。 現在は最上公園とされていて、戸澤神社の碑のある大手から水堀を越えて入ると右側に枡形虎口の櫓門跡と思われる立派な石垣が残っていて、一番の見どころでしょうか。 また、本丸内の神社前が駐車スペースになってますが、高さのある本丸土塁に囲われてます。 この土塁も見どころですね。(時間の関係で土塁に登れず残念) 水堀も広めに残って...
いくつかの神社がたてられています。
この新庄城址は新庄駅西口から北西に約20分程度の場所にあります。今は最上公園として整備されています。本丸と二之丸が公園のエリアです。堀と石垣が残っています。また庭園が整備されて当時の姿を見せています。
今は公園と神社になっています
奥羽本線新庄駅から駅前大通りを真っ直ぐ西に行きます。約1㎞です。新庄城は新庄藩祖戸沢政盛が寛永2年(1625年)に築城、以後250年間にわたり戸沢氏の居城で、本丸堀と土塁に囲まれ3層の天守閣、3隅に隅櫓があった平城だったそうです。明治戊辰戦争のとき市街地とともに焼失、現在は当時の堀や石垣が残っています。城址は最上公園となっており、その一部に戸沢神社等で、公園の各所には城址の説明柱がありました。堀に...
新庄藩6万石、戸沢氏の居城
新庄城は、新庄藩6万石、戸沢氏の居城。戸沢氏は、最上氏改易後にこの地に入封。山城であった真室城が不便であることから、この平城を築城しました。 後年、戊辰戦争でそのほとんどを焼失。今は、お堀と石垣で当時を偲ぶしかありません。
(新庄城跡) お堀と池垣、本丸の櫓門跡、一部の土塁だけが当時を偲ばせるものとなっています
新庄城は、新庄藩祖戸沢政盛が1620年頃に築いて、江戸時代ずうっと居城としていたお城です。今では、お堀と池垣、本丸の櫓門跡、一部の土塁だけが当時を偲ばせるものとなっています。そこに行くには、新庄駅から西にむかい、途中、こぶとり爺さまとおりを通って行きます。約1キロほどの距離です。今は、最上公園として整備されており、あじさい園や庭園もあります。お堀は珍しく自由に釣りをすることができるようで、行った時...