やや狭い道を通るのにアクセスはいいとは言えませんが、案内の看板はあります。公衆トイレが近くにあり車を止めれます。沖縄県立第二高等女学校の生徒からなる学徒隊の最後の場所で、学校関係者149人が合祀されています。こういう結果を引き起こす日本の指導部の愚かさを感じます。
今年もお参りさせていただきました。 以前に、あるテレビ番組で青山繁晴さんが学徒隊のお話をされていてこの場所を知り、また「ひめゆりの塔」以外にも幾つか学徒看護隊の慰霊碑があることも知りました。 白梅之塔は、沖縄県立第二高等女学校の生徒からなる学徒隊の最後の場所で、彼女らは看護場所で負傷兵の手当を手伝ったいたようです。 1948年1月に自然石の小さな碑を建立、その後1951年8月と1992年6月...
糸満は、激戦地だったので数多くの慰霊碑がありますが、こちらは看板や駐車場もあり分かりやすいと思います。沖縄南部の戦跡は、予習かガイドブックが必要です。ただ観光をしているだけですと、訳がわかりません。
タクシーをチャーターして訪れました。沖縄県立第二高等女学校の生徒から構成された白梅学徒看護隊の終焉の地に建つ慰霊塔です。敷地内にある南禅廣寺の手前に 自決の壕へ下りる階段が在りました。何も持たずただ合掌だけしましたが、お花を手向けられるのならば予め用意された方が良いでしょう。周辺にお店等はありません。
レンタカーで訪問。駐車場、トイレ完備。塔の周りは整備されている。あくまで慰霊のための施設で観光地的な要素はない。
学徒隊の最後の場所
やや狭い道を通るのにアクセスはいいとは言えませんが、案内の看板はあります。公衆トイレが近くにあり車を止めれます。沖縄県立第二高等女学校の生徒からなる学徒隊の最後の場所で、学校関係者149人が合祀されています。こういう結果を引き起こす日本の指導部の愚かさを感じます。
日本人として知っておかなければならない史実
今年もお参りさせていただきました。 以前に、あるテレビ番組で青山繁晴さんが学徒隊のお話をされていてこの場所を知り、また「ひめゆりの塔」以外にも幾つか学徒看護隊の慰霊碑があることも知りました。 白梅之塔は、沖縄県立第二高等女学校の生徒からなる学徒隊の最後の場所で、彼女らは看護場所で負傷兵の手当を手伝ったいたようです。 1948年1月に自然石の小さな碑を建立、その後1951年8月と1992年6月...
分かりやすいです
糸満は、激戦地だったので数多くの慰霊碑がありますが、こちらは看板や駐車場もあり分かりやすいと思います。沖縄南部の戦跡は、予習かガイドブックが必要です。ただ観光をしているだけですと、訳がわかりません。
林の中に
タクシーをチャーターして訪れました。沖縄県立第二高等女学校の生徒から構成された白梅学徒看護隊の終焉の地に建つ慰霊塔です。敷地内にある南禅廣寺の手前に 自決の壕へ下りる階段が在りました。何も持たずただ合掌だけしましたが、お花を手向けられるのならば予め用意された方が良いでしょう。周辺にお店等はありません。
慰霊の場所
レンタカーで訪問。駐車場、トイレ完備。塔の周りは整備されている。あくまで慰霊のための施設で観光地的な要素はない。